新発田城
新発田城(しばたじょう)は、越後国蒲原郡新発田(現在の新潟県新発田市大手町)にあった日本の城。別名、菖蒲城(あやめじょう)。新発田藩の藩庁が置かれていた。
Kasugayama Castle
Kasugayama Castle (春日山城, Kasugayama-jō) is a Sengoku period yamashiro-style Japanese castle located in the Nakayashiki neighborhood of the city of Jōetsu, Niigata prefecture. It was the primary fortre
柿崎城
柿崎城(かきざきじょう)は、新潟県上越市柿崎区にあった日本の城。 築城年は不明であるが、鎌倉時代時代に当地の地頭となった大見氏から派生した柿崎氏が築城したものと考えられている。 南北朝時代、柿崎氏は北朝に属するも南朝側の風間氏の攻撃により落城し、柿崎氏は城から追われた為に、この城は南朝側の拠点のひとつとなる。しかし、戦自体は最終的に北朝側の勝利に終わった為、柿崎氏が城主に復帰した。 戦国時代になる
加地城
加地城(かじじょう)は、新潟県新発田市東宮内にあった日本の城。
北条城
北条城(きたじょうじょう)は、新潟県柏崎市大字北条にあった日本の城。北条高広が長尾景虎(上杉謙信)に乱を起こす際に拠点としたことで知られる。1973年(昭和48年)12月1日付けで柏崎市指定史跡に指定。
木場城
木場城(きばじょう)は、新潟県新潟市西区木場にあった日本の城。
三条城
三条城(さんじょうじょう)は、新潟県三条市にあった日本の城。 長く信濃川沿いの須頃島(現在の三条市下須頃)に所在していたが、江戸時代初期に市橋氏が入封後に信濃川対岸(三条市古城町、後に同市元町)に新城が築かれて移転した。
栖吉城
栖吉城(すよしじょう)は、新潟県長岡市栖吉町にあった日本の城。 築城年ははっきりしないが、永正年間(1504年 - 1521年)に古志長尾氏の長尾孝景が築城し、蔵王堂城から古志長尾氏の本拠を移したとされる。 御館の乱では景勝の中心的な上田長尾氏(通称、上田衆)との対抗上、上杉景虎に与したが、居多浜の合戦に於いて城主上杉景信(通称、古志十郎)が討死。城も落城して古志長尾氏の本流は滅亡した。 乱後は上
栃尾城
栃尾城(とちおじょう)は、越後国古志郡栃尾(現在の新潟県長岡市栃尾地域)にあった城。別名舞鶴城、大野城。標高228mの鶴城山に築かれた戦国時代の典型的な山城である。新潟県指定史跡。
新津城
新津城(にいつじょう)は、新潟県新潟市秋葉区(旧新津市)にあった日本の城。
五十公野城
五十公野城(いじみのじょう)は、新潟県新発田市五十公野(越後国蒲原郡)にあった日本の城。
根知城
根知城(ねちじょう)は、新潟県糸魚川市根知谷区にあった日本の城(複合型山城)。新潟県指定史跡。
平林城
平林城(ひらばやしじょう)は、新潟県村上市平林にあった日本の城。阿賀北地方の有力な領主であった色部氏の居城として知られる山城で、国の史跡に指定されている。
村上城
村上城(むらかみじょう)は、新潟県村上市にあった日本の城(平山城)。別名舞鶴城(まいづるじょう)、本庄城(ほんじょうじょう)。村上市街地東端にそびえる臥牛山(標高135メートル)の頂に築城され、歴代の村上藩主の居城であった。国の史跡に指定されている。
村松城
村松城(むらまつじょう)は、新潟県五泉市村松にあった日本の城。村松藩の藩庁が置かれた。
本与板城
本与板城(もとよいたじょう)は、新潟県長岡市与板町本与板にあった日本の城。県指定史跡。
新潟城
新潟城(にいがたじょう)は、戦国時代の一時期に存在したとされる日本の城。舟岡城、白山城ともいう。 現在の新潟県新潟市中央区一番堀通町、白山神社および白山公園の位置にあったと比定されているが確かではない。
坂戸城
坂戸城(さかどじょう)は、新潟県南魚沼市にあった日本の城(山城)。坂戸山山頂(標高634メートル)に本丸、麓に平時の居館跡の遺構が見られ、魚野川をはさんで、三国街道を見下ろす交通上の要地に位置する。1979年(昭和54年)6月11日、国の史跡に指定された。
新穂城
新穂城(にいぼじょう)は、佐渡国賀茂郡新穂、のちの新潟県加茂郡下新穂村(現・新潟県佐渡市下新穂字郷内)にあった日本の城(平城)。1973年(昭和48年)3月29日、新潟県指定史跡に指定された。
小国沢城
小国沢城(おぐにさわじょう)は、新潟県長岡市小国町楢沢字菅沼ほかにあった日本の城(山城)。小松入城(こまついりじょう)・菅沼城(すがぬまじょう)ともいう。この山城単体を指して「小国城」(おぐにじょう)と呼ぶ事もあるが、行政上の遺跡(埋蔵文化財包蔵地)としては西麓の小国氏居館推定地が小国城と呼ばれている。なお、小国氏居館・小国沢城と、周囲の山城群をも一括して「小国城」とする意見がある。